雪わたり

雪わたり
雪わたり

「かたゆきかんこ、しみゆきしんこ。」

春に向かう
束の間の楽しみ

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 はじめて『雪わたり』を読んだとき、この、「雪わたり」というのが、雪の上を歩いていくんだな、というのはわかるのだけれども、その、感触というか、空気感というのか、そのあたりがどうにもぼんやりとして、うまくつかめなかったのですが、北海道に引っ越してきて、実際に「雪わたり」を体験してみて、「いつもは歩けないきびの畑の中でも、すすきでいっぱいだった野原の上でも、すきな方へどこまででも行けるのです。平らなことはまるで一枚の板です。そしてそれがたくさんの小さな鏡のようにキラキラキラキラ光るのです。」という、全能感のような歓び、爽快感、そしてこれが、冬から春に向かうときの、ほんの一週間くらいしか体験できないのですから、その幸運をつかめた喜びも相まって、そしておそらく、「四郎」と「かん子」、そして賢治も感じていたであろう、長い冬が明けて間もなく春が来るという期待感を、自らも感じることで、本当に、賢治の「雪わたり」の情景と「四郎」と「かん子」の興奮を理解できたように思います。
 日に日に太陽の力は強くなり、固く締まっていた雪原も、間もなく溶けてなくなることでしょう。冬に対する少しの名残り惜しさを感じながらも、意識はすでに、春の準備へと向かっています。芽吹きのときは、もうすぐそこまで来ています。

出典: 宮沢賢治『雪わたり』

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「となりにちょっと暮らしてみる」

ゴーシュRIN(宿ときどき珈琲店)
http://www13.plala.or.jp/gauche/

はなれで暮らすように滞在する、
そんな時間を過ごしていただけるような場所を
作りたいと思っています。